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あの世でどうなるというのだ。
つまり、成果というもの、なにかしらの得というもの、
そういうものは、すべて修行そのものの中にあって、他にはない。

名声、地位、財、そういうものとは無縁の
ただ、ひたすらの修行というものは、そのひたすらの修行のなかにある。

ひたすら、経を誦したことがある。朝な夕なに、
おそらく、その頃の私は、仏になにかしらの奇跡を期待していたのだと思う。
その先に、明日を夢みていた。

今、あの頃が懐かしい。その修行の日々の中で、出会った人、凛としたこころ、
すがすがしい朝、満ち足りた祈りの夕べ、
つまり、私は得ていたのだ。世界は美しかった。

もっとも、あの頃だから出来たことだったのかなー、

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信じられないかもしれないが、

生命活動の目的は

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