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子供のころ、自由になりたいと思った。

親から離れて暮らしたいと思った。学校から開放されたいと思った。
受験は灰色だった。結局3分の1が落ちる時代だった。

唯一学生時代だけが、自由気ままに生活できた。
しかし、金はなかった。
インスタントラーメンをすすりながら、
はやくに社会人になりたいと思った。

暇は自由とは違っていた。

卒業はー
しかし、そこに自由はなかった。義務と責任、そして社会という見えない鉄格子へのカウントダウンだった。
歯車になった。結婚して、家庭をもって、さらに大きな歯車になった。雁字搦めの身動きのとれない社会を構成する部品だ。

退職、いろいろ節目節目の祝い事があったが、これだけがほんとうに待ちに待った自由になれる日だった。
人間は終わった。
これからは人として生きていかなければならない。

自由とは人になることだ。

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一番わずらわしいのは人間である。
しかし、これなくして生きていくことはできない。

だいたい、頭がおかしくなったひとの大半がこれを起因としているようだ。
精神も、こころも、
立っている足場がここにある。

全く、一人で生きていたひとがいた。そして、一人で死んでいった。
草木を愛し、猫や犬とたわむれて、
葬式は、ほんとの近親者だけ、他人は私だけだったかもしれない。なんでか、
時々電話があった。
声は齢をとらない。
また、会おうといっているうちに、20年以上が経った。
棺桶の中で永眠るそのひとは、ずいぶん齢をとっていた。

国大をでて、電力会社に勤めて、女に恋をして、
なにがあったか、はやばやと辞めて、
散歩はつづけていたらしい。カント(Immanuel Kant)を愛していた。



ところで、会津王将会の会員だった風間静氏がお亡くなりになりました。あまりに急だったので、
連絡ができませんでした。 私も葬式前日、夜になって知りました。関係者各位にはこの場をかりて陳謝します。
王将会からは、安田氏と猪越氏が列席、若木氏から香典をお預かりいたしました。
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人生には拍子のようなものがある。一本の糸である。
これを上手に活かさない手はない。ダメなときはダメなものである。糸に乗って、上手くいくことがある。何をやっても、上手くいってしまうのである。

ある種、航海のようなところがある。
かつて、空や、風、季節に乗らないと海を渡ることはできなかった。
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わたしも、いつのまにか年をとった。今年の春に市の文化協会の事務局長を退任する。
来春には、市の三橋地区の区長も終わる。ながかった、地区との関わりも息子の代だ。会社はとうの昔に、息子に譲ったものの、役職だけは代表取締役だった。
それも完全に終わる。登記簿から消える。

残ったのは趣味だけ、趣味があってよかった。趣味というものはそういうものらしい。残った時間、何処までできるか、お返しする番になった。



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自分のために書く
そういうのは、気楽でいい。
しかし、いつも、思うのだ。むかしむかし書いた、観戦記について、もう、あれから二,三十年にもなろうというのに、覚えて下さるひとがいる。当の私ですら忘れていた内容をお話して下さる。
ついでに、酷評も、お褒めも頂くのだが、
しかし、それにしても、どんなものを書いていたのだろうか、
おそらく、今の私には書けないだろう。自由奔放というのは、若さの特権だ。
齢をとるというのは、つまらないものだ。いろいろなことを知りすぎて、語れなくなってしまうのだ。
思い出だけは、ふえていくが、
語るにしても、語ったそのときに消えていくような言葉でしか話せない。臆病になった。
相手の心を考えてしまうのだ。

つまらない大人にだけはなるまいと思ったものだが、そのものだ。
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