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3月までは、名人戦の開催への動きについては市の極秘情報になっていました。市長からもその旨、お願いされていました。
知っていたのは、市でも文化課だけで、会津王将会も安田さんと矢吹君と私。他は一切緘口令。いろいろご相談をした市の要人にも、曖昧模糊、進捗状況についてははっきりいわないということになりました。どうしても名人戦を喜多方で開催したいという思いからでした。
内々、島先生との間で話は進み、市のほうでも文化課に名人戦招致に向けての担当ができ、動き出しました。その担当が文化課課長の小澤氏です。市長の特命をうけるというかたちでチームができました。
まず、資料を集めることからはじまりました。
一体、名人戦ってなに? 私達将棋愛好家には当然のことも、市としては、一からということでここからはじまりました。
いままで、いろいろなイベント、将棋大会を手がけてきたのですが、さすがに、これは違うと、私も勉強することになりました。喜多方の名人戦は勉強会からはじまりました。
いま、ここに、資料がダンボールに二箱分。よく頑張りました。


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名人戦の前夜祭の席上、羽生三冠にお酒を注ぎに行ったら、島先生がわざわざ、席をお立ちになって傍においでなって、
「私も、びっくりしました。おそらく、いままでも、これからもないでしょう。たった1日で名人戦の開催を打診して、次の日に返事をいただいたなどということは」と、お褒めくださいました。
私も、すっかり忘れていました。
すぐに、喜多方開催承知の返事をしていたのです。

いい加減な返事ではないのです。

会津王将会には市長をはじめ、政界、財界、教育界に会員がいるという背景があります。
安田さんにひっぱられるように、決めるべきは決めると一日、一緒に歩いて承諾を取り付けてしまいました。

瓜生信一郎県会議員(当時副議長)には最初に報告にいきました。
それから市長にお会いして、次々と各方面に是非を問うて歩きました。
「ぜひ、実現して下さい」「夢のようだ」
「なんでもする。協力は惜しまない」反対する人はいませんでした。

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しかし、矢吹君、安田さんの二人の動きは早かったですね。
先ず、矢吹君です。

島先生は
「山形屋で名人戦をしませんか。他の場所でもいいのですが、前に矢吹さんと約束しているのでー、」
なんと、七年前の、県のシルバー名人戦、懇親会での席上での会話を覚えておいでだったのです。
私も同席していました。「とにかく最初、山形屋さんにあたってください。福島県の開催については武蔵さんにお任せします。」

矢吹君は、私の電話のあと、直ぐに出張中の山形屋の瓜生社長に連絡をとりました。なかなか連絡がとれずにやきもきしたようです。ようやく、次の日の朝に連絡がとれて「OKです」「今年ではなくて来年ですよね。今年はもうすでに修学旅行の予約が入っていて、日程が限られてしまいますがー」
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島先生から電話があったのは、昨年平成25年の1月15日の夜でした。そしてそのあと、一番最初に電話したのは、幹事長の矢吹君です。
温泉組合の安田理事長は実はそのあとでした。
ずーっと、安田さんが最初だと思い込んでいたのですが、違っていたようです。
「ほんとですかー、」
そのあと、安田さん「うそだべー」
これが、最初のふたりの一声でした。そして、どうしてか、極秘情報になりました。「誰にも言わない方がいいですよ、」「いわないほうがいい」
ーそうだな。ーそうですね。
いま思っても不思議な会話です。私が狼少年にならないようにという配慮だったのでしょうか、
どうして、私が肯いたのか、いまになっても自分でもよくわからないのです。

あとで、安田さんに聞いたら、こういうのは極秘に進めたほうが話がまとまりやすい。というのが、その答えでした。
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しかし、一大イベントでした。
自分としても、総力を挙げてのここしばらくでした。
1年と3ヶ月、しかし、まあ、いろいろのことがありました。沢山の方にご協力をいただきました。
とくに、市役所ですかね。よくがんばっていただいたのは、

この名人戦の立役者は、
温泉組合の理事長の安田氏と、もう退職してしまったのですが文化課の課長の小澤氏。そして、会津王将会幹事長の矢吹君です。心から感謝しています。
思えば、昨年の新春、名人戦は一本の電話からはじまりました。島先生からの電話でした。
もっとも、その一本の電話の前に、七年の歳月があったわけですが、

どうして、このビックタイトルの招致がはじまったかというと、平成19年の3月に遡ります。
島先生との酒宴の席からはじまりました。矢吹君がいいだしっぺです。

しかし、振り返ると懐かしいですね。歳月はすぎ、昨年の冬にはじまって、春、夏、秋、冬、そして春、花の咲く頃にとうとう名人戦はきました。
毎日のようにこの3人とは連絡を取っていました。何べんも会合も繰り返しました。どうなるかわからない名人戦の招致活動が始まったのです。
私の携帯は、ほとんど、着信も、リダイヤルも、この一年3ヶ月余、この3人で埋めらるという毎日でした。




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喜多方市第72期名人戦実行委員会からのおしらせ

名人戦記念将棋大会と、大盤解説会は募集を続けていますが、
前夜祭は締め切りました。120名定員のところ、135名になりました。
ありがたいことです。
しかし、さすがに限界です。ご理解いただきますよう宜しくお願い致します。

尚、将棋大会と大盤解説会はまだ定員になっておりません。
ぜひの、ご参加をお待ちしております。
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おかげさまで、前夜祭は定員120名になりました。
申込の受付を締め切ります。
お申し込み ありがとうございました。
       (喜多方市第72期名人戦実行委員会)
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 名人戦記念将棋大会 喜楽里杯 参加申込者 71名
 前夜祭 参加者 119名
 大盤解説会 一日目110名 二日目121名 

 
                      (4月15日現在)
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色紙と一緒に、貴重な資料を送っていただきました。
最初に先生にお会いしたのは、ずいぶんむかし、平成一年でした。場所も確り覚えています。
中野サンプラザ、わかりやすいですよね。26年前でした。
大山康晴、当時の連盟会長、十五世名人にも、そのとき初めてお会いすることができました。
過ぎ行く時の流れを、しみじみ思いました。
加藤恵三先生ですか、お会いしてみたかったですね。会津、それも喜多方、熱塩温泉にゆかりの先生だとは知らないでいました。
西村先生にも、いつまでも、お元気でいていただきたいものです。

今回の名人戦で、楽しみにしていることがあります。
鬼頭孝生さんがおいでになります。
木全規夫さん、尾崎行孝さんとご一緒のようです。前夜祭の名簿を見ていて気がついたのですが、びっくりしました。
遠く、名古屋からおいでになって下さいます。
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ちょっと、余裕ができたら、浅香光代さんの若い頃の写真を追っていました。
大物政治家の愛した顔、姿ね。どうしても、年をとってからの浅香さんのイメージしかなくて、

名人戦まで、あと一週間を切りました。
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もう、ちょっと待って下さい。全員フル稼働です。
テレビにのってたって言われたのだけど、第一局目。名人戦 椿山荘の離れでの観戦のときのようです。
そういわれれば確かに、連盟の小泉部長のご好意で羽生先生の背後に座りました。
名人、三冠の両対局者と同じ空間にいられたという幸せが映像として映し出されたようです。
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